オヤジ奮闘記


2001年10月31日
オヤジ奮闘記を始めた理由

私は、学生時代に野球をやっていない。だから子供達に野球を教える事が出来ない。 でも人手が足りず軟式野球(少年野球)のコーチを通算7年やらせて頂いた。 掲示板に書き込みのあった「ボランティアと言う名の犯罪」No.16(たぬ山たぬ吉さん) ではないが振り返ってみればそうだったかも知れない気がする。 少なくとも甲子園やプロ野球に行った子供は皆無である。

このホームページを立ち上げたのも子供達や父母達がいつでもインターネットを使い 今日の試合や過去の試合を思い出す事が出来るようにする為である。 本音では、私自身が試合結果を見て感動を呼び戻したいだけなのかも知れない。 もっと言えば自分の息子に活躍して欲しいと思う願いとその瞬間の写真をアップで掲載 したいだけなのかも知れない。

リトルシニアリーグ?よく判らなかった。そう言えば大阪にいた時はボーイズリーグ だったかな?知っているようで野球の事をあまり知らない。 パソコンの事もあまり知らない。HTMLのTAGをメモ帳で打ち込んでいる。 なかなか思ったように行かない。Netscapeでうまく表示できたと思ったらIEでうまく表示 できない。こうなったら意地でもツールに頼らずにメモ帳でTAGを打ち込もう。

そうだ、野球の事やパソコンの事をありのままに日記として発信して行こう。 追っかけオヤジの足跡を作ろう。その時その時の気持ちを素直に表現して行こう。 何もしないで陰でコソコソ悪口を言うよりはマシだろう。

人間って何かに打ち込んでいないとストレスが溜まるのだろう。振り返って見れば、 競馬、仕事、ゴルフ、野球、酒、魚釣り、パチンコ、女(?)、株等に打ち込んだ時期 があった。

これから、気楽な気持ちでこのホームページを運営して行こう。




2001年10月31日
インターネットの検索エンジン

10/10にホームページを立ち上げた。 Yahoo!の検索エンジンで「緑中央」と入力しても出て来ない3年生の全国大会優勝の 緑中央リトルシニアは出てくるが、私の南関東大会優勝のホームページは出て来ない。 これでは、見に来てくれる人は少ない。じゃ検索エンジンに登録しよう。 そう思って、10/23頃「一発太郎」から登録した。処理は簡単でホームページのURLと 自分のMail Adrresを入力するだけで良い。後は検索ロボットが巡回サービスをして 内容が良ければ登録されるとの事。色々な検索エンジンへの登録を「一発太郎」を 使ってした。勿論無料である。結構、有料でサービスしている所も多い。 今日、フレッシュアイから検索エンジンへの登録が完了した旨のMailが来た。 実際に「緑中央」で検索してみた。次のように出て来た。登録成功である。

10/24 99% 緑中央リトルシニア トップ
http://home10.highway.ne.jp/uemura/
緑中央シニア 祝!優勝 南関東支部秋季大会2001/9/30 Since 2001.10.10 ここは緑中央 リトルシニアの公式サイトではありません。個人的に情報を発信しています。..

Yahoo!からは何のMailも来ていない。じゃもう少しホームページを充実させて、もう 一度Yahoo!に挑戦して見よう。




2001年11月4日
グランド整備

今日は、ミサワ杯の第2回戦が厚木で行なわれる予定だったが昨日からの雨で グランド状態が悪く中止になった。昨日の午後から降り出した雨は朝方には止 んで晴れて来た。しかし、緑中央シニアグランドは内野、外野共に大きな水溜 まりが出来ている。1日中、緑中央のグランド整備を行なったのでその模様と 色々と感じた事を記録する。

8時半にグランドに集合して1年生選手と父兄がグランド整備を始める(2年 生は試合の予定だった)低い所に水溜りが出来ておりまずはその水を排出する 事から始める。内野はショートとセカンドの2ヶ所に水溜まりが出来ていた。 スコップで穴を掘り水を汲み出し一輪車で運ぶ。最後はスポンジで水を取る。 外野は4ヶ所に水溜りが出来ている。グランドが高い所にあるので、スコップ で水路を作り下の公園側に流す。

10時頃、試合が中止だとの連絡を受ける。今日は日曜日と言う事で父親が多 数グランドに集まっていた(試合の応援の予定)。ズーッと試合が続いており、 グランド整備が出来ていなかったので、今日やる事にした。

土を金網でおろして石を取り、綺麗な土をグランドの低い所に入れて行く作業 である。今朝の水溜り状況から低い場所は判っている。12、3人の父兄で軽 トラック6回ぐらいグランドに土を運んだ。夕方の5時くらいまで作業をした。 こういった作業は当然ボランティアであり報酬はない。まさに土方仕事である。 実際の作業をやりながら色々な声が聞こえて来たので整理すると概ね次のよう になる。

<今日グランド整備をした人達>
1)まる1日もこんな作業をしてたら、誰も協力しなくなるよ。
2)グランド整備担当が何で来ていないんだ?
3)2年生の親が少ない。
4)計画的に進めて欲しい。

<グランド整備をやって欲しい人達>
1)子供が世話になっているのだから、グランド整備は協力して欲しい。
2)グランド整備をするのは子供達の為である。
3)チームを強くするとか、選手達のレベルを上げるには環境が必要なのだ。

要は話が噛み合っていないのである。父親達は、子供の試合とか、練習を見に 来たのである。たまたまグランドに来た時にグランド整備をやったものだから、 ブツブツと文句を言う。それもチーム運営には殆ど影響のない私(追っかけオ ヤジ)に対して。。。。。俺に言っても何も変わらないだろ!

良く考えて見たら、2〜3ヶ月前までは私は文句を言う方だった。文句を言う のも嫌だったからあまりグランドに行かなかった。理由を自治会の会長をして いるので忙しいと言う事にしていた。本音はグランドに行くのがあまり好きで なかった。それがいつの間にか文句を言われる側になっている。3年生が8月 末で終わり、今は1年生と2年生の選手が中心である。ヒョンな事から車両係 を引き受けてしまったのだ。何か、その頃から少し変わって来ているのだ。

結局、人間って生き物は、あるセグメントに分けられた環境の中では「公平」 が重要なのである。過酷な労働も、その集団の中で「平等」であれば問題なく 労働をこなして行けるのだろう。現に、グランド周辺の草刈り(年2回ぐらい) は9割以上の参加があり、協力して作業をこなしている。今日の場合であれば、 計画的に作業を進めれば、問題は無かったのであろう。でも今日みたいに、試 合が中止になって、臨機応変に対応するような場合は計画的には行かない。そ こがジレンマである。

緑中央リトルシニアの協力者はボランティアで成り立っている。これはどこの チームでもそうであろう。監督、コーチ、父母等は全てそうである。選手達か ら集めた会費は、試合の登録費や遠征時の車両代、野球道具代(ボール、キャ ッチャー道具等)等の費用で消えてしまうのである。

このような、チームの運営では「公正、公平」が一番大事なのであろう。今、 チームには31人(2年生)、35人(1年生)の計66名の選手がいる。 この保護者達にそれぞれ、公平に協力して頂けるようにするにはどうすれば良 いのだろうか?

このホームページが少しでも役に立ってくれれば良いのだが。。。。。




2001年11月10日
試合中止

今日は、ミサワ杯の第2回戦が秦野中井球場で行なわれる予定だった。
第1試合の為、朝6時15分に集合して試合会場へと向かった。私は遅刻してチーム に迷惑を掛けた(すみませんでした)が7時20分ぐらいに試合会場に到着した (約40Km)。雨は降り続け止む気配がない。天気予報では午前中で止む予定との事。

球場の駐車場は未だ入れないので、路駐しながら駐車場が開くのを待っていた。途中 でグランドの様子を見に行くと奇麗に整備されたグランドであり、保土ヶ谷球場なみ の球場であった。外野の芝生が奇麗に整備されており、試合が出来そうであったが、 内野は水が浮いており、雨が上がっても整備に時間が取られそうであった。

8時ぐらいに主催者側の人達が集まって来て、色々と協議を始めた。先週も雨で順延 になったので、今日は多少の雨では決行のハズであった。

8時過ぎに今日の試合が中止になった事を聞いた。仕方なくチーム全員が撤収した。 帰りに対戦相手の横浜南シニアのバスとすれちがって帰って来た。

肉体的には動いていないのだけれど、疲れた1日だった。




2001年11月11日
全日本優勝祝賀会

今日は、全日本選手権で緑中央シニアが優勝した(2001年8月)のでその祝賀会が新横浜プリンス ホテルで開催された。日本一になったのはチーム結成以来30年で始めてである。全国で350 チーム程あるシニアリーグの頂点に立つのだから大変な事なのである。

夜の7時から始まったが規模の大きさにはビックリしてしまった。現役選手の89名と父母達で 約250名。OBや関東連盟、南関東支部の役員や高校野球部の監督から少年野球連盟の役員や 少年野球チームの代表者等が約100名。合計350名くらい集まっていた(数えていないが)。

衆議院議員の中田先生は緑中央リトルシニアのOBであり、お祝いの言葉を頂いた。祝賀会の写真を 一部掲載する。
 
浦田事務局長と鈴木監督 吉野会長の挨拶
祝賀会開始前のひとコマ吉野会長の挨拶
中田先生の祝辞 頑張った選手達
中田先生からの祝辞日本一になった選手達
鈴木監督の挨拶 高校野球部の監督様 width=
鈴木監督の挨拶各高校野球部の監督様


私の今日を振り返ってみると、5時起床。6時に江田グランド横に集合し、緑シニアグランドへ 向かう。実は昨日からの雨で緑シニアグランドの状態が良くなくグランド整備を行なうからだ。 早朝にも関わらず11人の父兄が協力してくれた。グランドに着いて見ると案の定、水はけが悪 いのかグランド全体に水が浮き水溜りが出来ていた。グランド整備はまず、水を取り、水を含ん だ泥土を取り砂を入れて整備する要領で行なった。
10時頃になり、太陽も上がり暖かくなって来たので最後の仕上げに入る。

試合開始は11時になった。対戦相手の横浜南シニアには5−0で勝った。その後、第二試合を見ながら食事を取る。 第二試合は、横浜東金沢と小田原足柄であった。

緑中央のグランド(江田)に帰って来たのが2時半頃であった。今日は全日本選手権の優勝祝賀 会が、7時から新横浜プリンスホテルで行なわれる。その準備もあるので一旦解散。

3時に家に帰り、風呂に入る。祝賀会の集合時間は5時半である。息子にもシャワーを浴びさせ て準備をして5時に一緒に車で家を出る。新横浜プリンスホテルに5時半着。

7時から祝賀会が始まり、9時で終わる。デジカメで150 枚ぐらい写真を撮った。これをどのようにするかは検討中である。
Yahooのフォトサービスにアップすれば各自がダウンロードして印刷しても良いしYahooの印刷サー ビスを使う事もできるだろう。印刷に耐えるレベルの解像度を維持しながらアップする事を考える と色々と考えたり調べなければならない。一番簡単なのはデジカメの元データをアップする事で あるが、圧縮せずにアップするには、330KB(元データ)の150枚で約50MBが必要になる。 Yahooは30MBまでが無料である。いずれにせよ、至急結論を出そう。

家に帰ったのが10時頃であり、緑中央シニアのホームページに今日のミサワ杯第2回戦の情報 を追加した。

今日は、良い事ばっかりだ。天気が良い(快晴)。試合に勝った。祝賀会が行なわれた。 今日みたいな日は精神的に心地良い気分で眠りにつける。




2001年11月20日
シニアって何?

シニアって何?息子がお世話になっているから多少知っているけど、知らない人も多いの ではないだろうか?

正式名称は全日本リトル野球協会 リトルシニア部会(2000年11月までは日本リトルシニア野球協会)と呼ぶ。
全国で  7連盟(北海道連盟、東北連盟、関東連盟、。。。。)
    30支部(南関東支部、北関東支部、。。。。。)
    178ブロック(北ブロック、南ブロック、。。。。)
    368チーム(緑中央シニア、。。。。)
が活動しており、毎年チーム数の増減があるようである。
緑中央シニアは、正式には、
全日本リトル野球協会 リトルシニア部会 関東連盟 南関東支部 北ブロックに所属している事になる。

緑中央シニアの3年生が8月に全日本選手権で優勝したのはこの368チームの頂点に 立った事になるし、2年生が9月に南関東支部で優勝したのは47チームの頂点に立っ た事になる。

組織図を掲載するが、関東連盟が一番大きい(161チーム)し、その中でも南関東支部 が一番大きい(47チーム)。南関東支部は神奈川県と静岡県のチームで構成されて おり、強豪がひしめきあって激戦区のようだ。

全日本リトル野球協会 リトルシニア部会は全国組織で最大の野球人口を誇っているが、本部が東京に あることもあり関東のチームが圧倒的に多い。
一方大阪に本部を置くボーイズリーグは関西が中心であり約300チームが所属している。

全日本リトル野球協会(リトルシニア部会)
事務局:〒151-0053 東京都渋谷区代々木2丁目11番5号 アクティブ新宿802号
TEL: 03-3375-3700 FAX: 03-3370-4446

シニアの組織



2001年11月22日
気になっていた掲示板への投稿「少年野球」

ずっと気になっていた事がある。
No16(たぬ山たぬ吉さん)の掲示板への書き込みである。
この掲示板は50件しか保存できない。古い順番になくなっていくのである。
現在の少年野球(軟式、硬式含む)に対しての問題提起である。
全ての少年野球の指導者がそうではないが一部にこの投稿にあるような指導者が存在するのであろう。少なくとも「たぬ山たぬ吉」さんがそう思ったのは事実である。
このオヤジ奮闘記を書くキッカケにもなったし、本音の話を進めていく上では無視できない内容である。
投稿者を詮索する気持ちは持ち合わせていない。ただ問題の本質とそれを解決する方法を考える意味でこの奮闘記に残しておきたい。追っかけオヤジ。
(以下に原文をそのまま転記しておく)

2001/10/29 20:31
たぬ山たぬ吉 ()
子供の野球

緑中央シニア関係ホームページ開設に関し、関係者の皆様のご尽力、ご苦労に敬意を表します。
「たかが少年野球、されど少年野球」
息子が小学校1年で、地域の軟式野球をはじめ、少年野球の父兄になりました。まず、初めに感じたのが、これだけ国民スポーツの位置付けがされている野球の、しかも少年野球の指導者の無知、無能、不勉強さ、いいかげんさ・・・・しかも、人格のなさに失望しました。
すべての指導者がそうだとは言いませんが、息子の将来を案じて、いろいろなチームを見ましたが、どこもたいして変わり映えがしませんでした。
「ボールは気合いで捕れ」と、怒鳴る監督は、捕り方の基本を教えてくれません。毎日、毎日、練習を観にいくものだから、半年後にはコーチになれと監督命令、「野球経験のない私に何が教えられるのか?」と聞いたら、「どうせ子供、親も出てこない子に間違ったことを教えても、あなたに責任はない」と監督は自信たっぷり。
ただ、野球が好きだから、子供が好きだから、そして、時間があるからって、素直なまっさらな子供に嘘を教えていいのか?と最初に思いました。
「ボランティアという名の犯罪者」の名言はそこから生まれました。
当時は、情報化社会の幕明け前、本を読みあさり、リトルリーグという組織を知り、あるリーグに入部。全国大会にも、たまには行ける名門(迷門)チーム、後にシニアは全国制覇、これで安心と思ったのもつかの間、役員の頭の中は旧石器時代のまま、何の進歩もない。
過去のみを懐かしがり、また、自慢する野球アルツハイマーの溜まり場でした・・・・・。
後に私はそこの監督になり、私の仕事は、子供の指導でなく、いいコーチ、いい後継者探し、「子供たちには申し訳ない」が寝言の毎夜でした。
緑中央さんとも公式試合、練習試合ではよく対戦しました。県大会、関東大会でも勝ったり負けたり、楽しいマイナー、リトルを経験しました。そのリーグともリトルでおさらばごめん、バイバイさよなら。
緑中央さんではありませんが、今はいいシニアと巡り会えました。
「ずいぶん遠回り、思えば遠くへ来たもんだ。」
バンダリー等いろいろ問題はありますが、情報社会の昨今、このようなホームページを充実させ、伝言板を充実させ、可能性ある子供を闇に葬ることのないように、ひいては、野球界の発展のために、たんなる交換日記帳にしないように頑張って下さい。さらなるご尽力を期待します。
ライバルチームの父兄ではありますが、本当に期待しております。