オヤジ奮闘記 No.4


2002年3月27日
大阪選抜大会に向けて

3月29日から全国選抜大会が大阪で開催される。

各地区で結果を残したチームばかりが集まって日本一を決めようと言う事である。
従って対戦相手は相当手ごわい。
南関東支部(神奈川県、静岡県)では 緑中央、横浜金沢、緑東、瀬谷の4チームが選抜されている(4チーム/48チーム中)。

第一回戦から波乱が予想される。どこまで緑中央が通用するのであろうか?

南関東春季大会の準々決勝(対横浜金沢戦)、準決勝(対中本牧戦)を観戦したが、選手達は去年の秋に比べて 大きく成長している。ここぞと言う時の集中打はあっぱれである。

選手達も大阪で全国大会でのレベルの違いを思い知るであろう。
北は北海道から南は九州までの強豪34チーム(368チーム中)が大阪に集まり日本一を競うのである。
南関東大会や関東大会とは、また違った雰囲気であろう。

でも逆に考えれば、全国選抜大会に選ばれる事や、関東大会に出場できる事は 選手達が結果を残したからだと思うしすごい事である。

全国選抜大会に向けてエールを送りたい。
選手達には「思いっきりやってこい」「気持ちでは負けるな」と 言ってあげたい。そして「完全燃焼してこい」と。

私もネット裏から選手達の活躍を応援する。
(仕事の関係で4/1以降は未確定だが。。。。)

これは、緑中央シニアとしての公式見解ではありません。野球には素人である追っかけ オヤジ(父母)からみた発言です。戯言と思って読み流して下さい。




2002年4月9日
大阪選抜大会が終わって

日本一に輝いたのは、同じ南関東支部の瀬谷シニアである。

我が緑中央シニアは次の成績で終わった(夏春の連覇はできなかった)。
2回戦 河南シニア2−9緑中央シニア 富田林市営球場(6回コールド勝ち)
3回戦 緑中央シニア2−3宮崎 舞州ベースボールスタジアム(惜しくも敗れる)

私は、仕事の関係もあり、金曜日の夜出発する2年生の選手達を乗せた応援バスツアーに乗り込んだ。 行きのバスの中は父母達も選手達も遅くまで騒いでいたようだった。
コースは東名高速道路、西名阪道路、富田林市。
応援バスで大阪に向かう選手達。
翌朝、PL学園の近くを通り、富田林市営球場に到着する。私は大阪は長かったが殆んど北の方だったので南の方は良く知らない。
球場は立派だったが小高い山の上にあり、肌寒さが感じられた。球場近くの桜も満開の状態であった(他の地域より少し遅咲き)。
球場横の桜が満開だった
河南シニアとの試合開始 応援する選手達
対戦する河南シニアは球場の近くにホームグランドがあり地の利を活かしてくるのではと試合前は心配した。
結果的には、緑中央の打線が爆発して勝つ事ができた。
この日は2年生が練習試合(対河南シニア)をさせて頂いて、大阪市内のホテルに帰った。
3月31日(日)、ホテルで朝食(バイキング)をタップリ取って舞州ベースボールスタジアムへ向かう。
大阪湾の埋立地に立派な野球場ができている。私の住んでいた9年前には何も無かった所である。 既に第一試合は始まっていた(武蔵府中−札幌新琴似戦)。
宮崎シニアと試合開始 応援する選手達

第二試合が緑中央−宮崎である。

対宮崎戦は投手戦のすばらしい試合であった(噂では宮崎シニアの伊賀投手は128Kの豪速球との事)。
試合は同点で迎えた最終回にヒットを打たれサヨナラ負けで終わった。 試合後、悔しかったのか選手達の多くが泣いていたのを思い出す。 愚息が試合に敗れて泣いているのを見たのは初めて(軟式少年野球時代から)であった。 これだけの大舞台で、1点を争う好試合をした選手達を誉めてあげたい気持ちで一杯だった。 でも、感傷に浸り何故か言葉が出なかった(無言のまま帰りの応援バスに乗り込んだ)。
野球は筋書きの無いドラマである。何が起こるか判らない状況で試合が進んでいく。 今回の悔しさや感動を脳裏に焼き付けて、これからの練習に励んで欲しい。

プロ野球みたいに140試合を戦って優勝を決めるのでは無い。トーナメントなので1回きりである。 従って息が抜けない状況で勝ち進んでいかなければならない。

春の選抜大会は終わった。これからは夏の日本選手権に向けて練習あるのみである。 感傷に浸っている余裕は無い。支部大会の決勝戦、そして関東大会が始まる。

最後に引率をして頂いた監督・コーチ・事務局及び父母の方々お疲れ様でした。ありがとう御座いました。
(応援ツアーに参加させて頂いただけで協力できなくて申し訳ありませんでした。)

これは、緑中央シニアとしての公式見解ではありません。野球には素人である追っかけ オヤジ(父母)からみた発言です。戯言と思って読み流して下さい。