2002年5月8日
子供の躾・教育について

子供の躾・教育を少し考えてみたい。ここでは、学校の勉強以外の教育である。 社会人としてとか人間としての教育である。私自身が学校の勉強が嫌いな方だったので、 子供に学校の勉強を押し付ける気持ちはない。 人間としては学校の勉強よりも、美しいものを美しいと感じる心や、親や、周りの人達に 対する感謝の気持ち、他人に対するやさしさや思いやりの心が重要である。 将来、どんな仕事をしようとも人と関わっていかざるを得ない。 その時に社会人として一番大事なのが人間の心である。その心はどのように形成されて 行くのであろうか?遺伝子と生まれてからの経験や親の愛情ではないだろうか?

勉強ができなくても良いからやさしい心を持った人間に育って欲しいと願っている。 では、その健全な精神の育成は誰が教えるのであろうか?学校の先生だろうか?違う。 親だろうか?やるべきは親であろうが、私も含めてキッチリできていないのが現状だろう。 理由を仕事と自分の遊び(ゴルフ、競馬等)が忙しくて、、、、と言い訳を言う。

それはそうだろう。中学生の子供を持つ親としては戦後の日本経済復興の最前線で活躍した 年代であり、日本を米国に次ぐ世界第2位の経済大国に押し上げた人達である。 いわゆる「団塊の世代」以降の生まれである(昭和30年〜昭和40年)。家庭を顧みず仕事に没頭した年代である。 その時代は物が豊富でなくロクな躾・教育を受けていないのではないだろうか?親も忙しく あまりカマってもらっていないのが実態である。時代の変化が激しくついて行くのがやっと だったのではないだろうか?

「他人に迷惑を掛けるな!」これは、オフクロが私に言い続けてきた事である。そのように 育った、親が子供達に何を教えていけば良いのだろうか?背中を見て育つ時代では無い。 確かに、塾に行って勉強させて、良い高校に入学させるのは間違ってはいない。勉強もできない よりはできた方が良いだろう。

でも、今のペーパテストで何が判ると言うのだろうか?記憶力のテストはできても道徳なり考え方 のテストはできないだろう?(作文があっても自分の考えをうまく表現できない子供達もいる) 記憶力ではなく考える事が重要ではないだろうか?択一的ではなく自分の意思なり考えを 持つ事の方が重要だと思うのは私だけだろうか? 社会人になれば、色んな問題に直面する(もちろん教科書には書いていない事)。その問題を 自分の意思なり考えで解決していかなければならない。その判断の元になるのは道徳、やさしさや 思いやりの心ではないだろうか?

例えば、警察の職員が犯罪を犯したり、元税務局長が脱税をしたり、外務省の役人が 立場を利用して国費を流用するとか普通では考えられない事が世の中では起こっている。 歴史を振り返ってみても権力を与えると悪の誘惑に負けてしまう人達が多いのである。 だから、透明性や情報公開が必要なのである。悪い事をしようにもできないような仕組みに 世の中が変わりつつあるのではないだろうか?アメリカ並に性善説から性悪説に流れが変わってきているのであろう。

私は、野球をやる事によって、健全な精神が育成されると思っている。 やさしさや思いやりの心が育まれると感じている。 いくら勉強ができても、学校から帰ると毎日塾に通い、空いた時間は家やゲームセンターで一人でゲームに夢中になり 友達や他人と関わりが少ないような環境を良いとは思っていない。 青空の下で、試合に勝つ喜び、負けた時の悔しさ、ファインプレーやヒットを打てた 時の喜び、試合に出れなかったりエラーした時の悔しさや厳しい練習を乗り越える事を チーム全員で共有する所に、人を思いやる心や誘惑に負けない健全な精神が形成されていく のではないだろうか?

今年は、息子も進学の年である。私に似て勉強は嫌いな方である。選択肢は少ないけれど 良く話し合って決めていきたい。

これは、緑中央シニアとしての公式見解ではありません。野球には素人である追っかけ オヤジ(父母)からみた発言です。戯言と思って読み流して下さい。