日大三、夏は初の4強入り…内田が2試合連続本塁打

日大三・内田選手  第83回全国高校野球選手権大会第12日準々決勝、明豊(大分)2−9日大三(西東京)(19日、甲子園)何が何だかわからなかった。甲子園がざわめき異様なムード。内田は半信半疑だったが、三塁塁審の右手がグルグルと回ると、心の中で「ヨシッ!」と叫んでいた。

 「インコース低めの真っすぐ。二塁打だなって思ったんですけど…」

 三回に放った打球は左翼フェンスのラバー部に当たると、衝撃で高く舞い上がりスタンドへ。プロでは“疑惑のアーチ”も、アマ規定ではれっきとした本塁打。明豊ナインの猛抗議を横目に18日の日本航空戦に続く2試合連続だ。

 その日本航空戦では原島正光外野手(3年)が大会タイ記録となる3試合連続アーチ。1年のときからレギュラーのその同級生に、ライバル意識は強い。みんなは「格が違うな」と一目置いてきたが、母・啓子さんには「あいつより打てるのに悔しい…」と打ち明けてきたという。

 まさに存在を訴えるアピール弾。内田の一発に刺激されるように、打線が17安打9点と大爆発。夏は初となる4強入りを簡単に果たした。

 小倉監督は「甲子園でいろいろ勉強させてもらうだけでありがたい」と謙虚な姿勢だが、内田は違う。「原島には絶対に負けたくない。あと2試合、絶対打ち勝ちます」と深紅の大優勝旗をにらんでいる。

写真:三回、日本航空戦に続く2試合連続本塁打を放った内田

 内田 和也(うちだ・かずや)
 昭和59年1月31日、横浜市生まれ、17歳。釜利谷南小2年のとき軟式野球「金沢スカイヤーズ」で投手として野球を始め、中1から「緑中央シニア」で硬式に転向。好きな野球選手はマリナーズ・イチロー。家族は両親と兄。1メートル75、75キロ。右投げ右打ち。

内田の母・啓子さんうれし涙

 アルプス席では内田の両親が観戦。母・啓子さん(49)は「初めは二塁打だと思いました。打球が速くて見えなかったですね」と本塁打の判定にひと安心。父・正美さん(51)とともに笑みをこぼした。「幼稚園のときは甘えん坊で、教室まで送っていかないと泣き叫んで大変。高校で寮生活させるのも心配なくらいでした」(啓子さん)。頼もしくなった息子の姿に目を潤ませていた。

アマ解釈は「地面に触れないでフェンスを越えたら本塁打」

 日大三・内田の本塁打の判定について、杉中豊・大会審判副委員長は「アマ野球ではフェンスを地面の延長と見なさない」という見解を示した。甲子園の外野フェンスはラバー部分の上に金網を張り巡らせており、内田の打球はラバーに当たり金網を越えた。野球規則は「バウンドしたフェア打球がスタンドに入った場合、エンタイトル二塁打」と定めているが、平成6年のプロアマ合同規則委員会で、アマ側は「地面に触れないでフェンスを越えたら本塁打」の解釈をとっている。

 記録

▽2試合連続本塁打 日大三の内田が準々決勝の明豊戦で記録。通算44度目(3試合連続の5人含む)。

 今大会11安打と大当たりの日大三・都築克幸内野手(3年) 「きのうは本塁打だったので、きょうは全打席ヒットを打ちたかった」

 連続試合本塁打が3で止まった日大三・原島正光外野手(3年) 「次はバックスクリーンに放り込みたい」

 今大会初先発ながら6回2失点と好投した日大三・千葉英貴投手(3年) 「僕のことより、内田のホームランはすごかったですね。入らないなあと思ったんですけど。あの2点目で気が楽になりました」

準決勝組み合わせ

▼近江(滋賀)−松山商(愛媛)(11時、甲子園)
▼日大三(西東京)−横浜(神奈川)(13時30分、甲子園)

明豊・小玉監督「ベスト8はおまけ。もう最高です」

 明豊・小玉監督は完敗にも「うちが特級なら向こうは超特級。スイングが並じゃない。ベスト8はおまけ。もう最高です」と初陣の健闘に表情を崩した。「わたしも楽しかった。56歳になってもワクワクした。60歳で退職するまでにもう1度、来られんかなあ」と甲子園の余韻に浸っているようだった。

 日大三打線に17安打された明豊の主将・黒仁田亨捕手(3年) 「どこに投げても打たれるんで、どうすることも出来なかった」

 甲子園では不発に終わった通算42本塁打の明豊・草野善智内野手(3年) 「(右中間二塁打は)悔いが残らないように思いきり振った」